星に願いを

妄想とエゴと素直な気持ち。

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あっという間だったのか、長かったのか。

この一年をうまく言葉にすることは出来ません。

 

今でも夢なんじゃないかなって思うし、そうであって欲しいと強く願ってしまう。春馬のいない日常に、慣れるわけがない。認めたくない。寂しい、寂しいよ。

 

ここ最近の初夏を感じる空を見ると、「あぁ、去年もこの時期に梅雨明けしてれば未来は変わったのかな?」なんて考えてしまいます。

あの日、何があったのか。どんな想いだったのか。

考えても絶対に分からないことを考え続けてしまう私は、全く成長していない。

 

 

少し話を変えます。

記憶に残っている人も多いのではないでしょうか。

文春オンラインに掲載されたこちらの記事。

 

 もしかしたらこれから先、各社の報道は彼の死の理由を探るのかもしれない。僕らの知らない「このような理由があって死んだ」という報道は、まるでラストシーンが映画の意味を決定するように、彼の人生の意味を塗り替えようとするのかもしれない。

 でもそれは間違いだ。2020年の7月18日に起きたことは、彼が30年生きた日々のたった1日でしかない。その死は確かに彼の人生の一部だが、それは大きなジグソーパズルの一片でしかなく、オセロゲームの終端に置かれたコマのように、人生の意味をパタパタとひっくり返して色を変えていくものではない。死は逆算して生を定義するものではなく、生の最後の一部として片隅に置かれるべきものなのだ。 

 彼の死ではなく、彼の生を記憶しようと思う。多くの作品で彼が演じた役について、彼が語った未来への希望について。去年2019年、彼がソウルドラマアワードで「アジアスター賞」を受賞した時、「隣国として私たちは時々難関にぶつかることもあります。でもお互いにもっと理解しようと努力すれば、このような難関を一緒に解決できると信じています」と語ったことについて。

『日本製』の巻末のインタビューで、岡田准一の殺陣の素晴らしさや、「演劇は啓蒙、啓発なんだ」と語る岸谷五朗ら先輩俳優への尊敬とともに、「エンターテインメントは楽しかったりきらびやかなものだけではなく、『戦争はむごいことなんだ』『人が人を差別することはいけないんだ』と伝えることができる」と語っていたことについて。

 誕生日に初めて配信したインスタライブで「5年後10年後も舞台で動いていられるように、食事を未来の投資だと思って大切に食べている」と語ったことについて。

 5月の下旬に比嘉愛未とコラボしたインスタライブの中で、タサン志麻さんの名前を間違えたら失礼だから、と手のひらに名前を書いてたことを見抜かれた三浦春馬が照れて笑った時、人のことは言えないほど生真面目な比嘉愛未が、姉が弟を見るように「マジメかい」といとおしげに笑って彼を見つめていたことについて。

(引用元:文春オンライン)

 

私もこの記事が心にグサグサと刺さった人間のひとりです。難しいけどそうしたいと、そうでありたいなと、この記事を読み、ボロボロと涙を流しながら心に誓いました。忘れられない記事。

でも最近ふと思うんです。

2020年7月18日に起きたことは、三浦春馬という人間にとって、たった1日の出来事で。そりゃ褒められた選択でも、美化できるような話でもないんだけど、それ以上に残してくれたものがたくさんあって。7月18日のことを考えてしまう日も多いけれど、出来るだけ、その日以外のこともぎゅっと大切にしたいと思っている反面、

このたった1日の出来事が原因で、メディアでは扱われにくくなってしまったような気がするし、"触れてはいけないこと"のようになってしまった気もする。

そりゃ私の場合は、こんなことを言っておきながら、いざ追悼番組が放送されたとしても、見れる自信はないし、自分を苦しめるだけかもしれないけど、それでも、彼の生を、生きた証を、多くの人に伝えていきたいと思っている身としては、腫れ物のように扱われている気がして悲しい。

 

いつか、もう少し時間が経ったら、沢山の人が春馬との思い出話を「笑顔」で語り合える日がきますように。10年後でも、20年後でも、いや30年後でいい。私自身もまだまだ時間が必要だし、きっと世間もまだまだ受け入れられない。

でもいつか、いつの日か、そんな日が訪れたらいいなと切に願います。

そして、みんなで天国に行ったときには、一言春馬を怒り、そしてぎゅっと抱きしめて、またみんなで思い出話が出来ればいいな。

なんちゃって。

(図々しいにもほどがある、ごめんなさい)

 

私は、そっと、静かに、春馬に想いを馳せます。

たったひとりの特別な人。

大好きで、尊敬できて、愛おしい人。

 

どうか、幸せでいてください。

何にも縛られず生きたいように生きててください。

 

ありがとう。

今までも、これからも。

たくさんたくさんありがとう。

 

2021.07.18.

表裏一体

これをどちらで捉えるかは人それぞれで、私自身も答えがわからないけど、

 

人間って、どうしようもなく弱いけど、思ってたより意外と強い。

 

逃げたくなるような絶望と向かい合ったとき、どうしようもなく弱いから、時間が経つことで少しでも記憶を薄くして、忘れられないけど忘れようとすることで、なんとか日々を生きてる。むしろそうでもしなきゃ生きていけない。

その反面、こんなにツラい出来事があったのに時間が経てば、"去年の夏よりは"ちゃんと受け止めて、"去年の夏よりは"ちゃんと自分で立ってる。前に歩けてるかは分かんないけど。

 

悲しさも絶望も、その事実が信じられないことも、何も変わってないのに不思議だなぁと思う。

 

こっちの世界飽きちゃった!

って笑いながら帰ってきてくれない?

 

全部、全部、悪い夢だったらいいのに。

31.

 

生まれてきてくれてありがとう。

出会ってくれてありがとう。

人生に彩りを加えてくれてありがとう。

 

どうか、どうか、しあわせでいてくれますように。

笑いたいときに笑って、泣きたいときに泣いて

何にも縛られず、過ごせていますように。

たくさんの愛に包まれていますように。

 

だいすきです。これからも。ずっと。

 

31歳。

おめでとう。

ここ最近思うこと。

 

8ヶ月。

 

付き合いたてのカップルじゃないんだから、こうして毎月数えるように過ごしてしまうのはどうなんだろう、なんて最近は考えたりします。それでも、やっぱり18日は春馬に想いを馳せて苦しくなってしまう。絶望してしまう。そんな私を許してください。

 

 

私はこのブログの最初の記事にこう書きました。

 

「時間はすべてを癒してくれる。」

そんなの嘘だ。ただの綺麗事。

 

と。

 

この気持ちは8ヶ月経っても変わりません。

ドラマや映画のセリフ。曲の歌詞。ニュースで流れる社会問題。ありとあらゆる日常の言葉や出来事から春馬のことを考えてしまう。

春馬のことを忘れた日は1日もないし、苦しくて悲しくて寂しくて悔しくて、涙が止まらなくなる。"あの日に戻れたら…"と考え、何度も何度も絶望する。

どれだけ時間が経とうとも、この悲しみが軽くなることはこの先もう無いんだと思う。

 

でも、

春馬のことを考えて一睡もできない日はなくなったし、ご飯もちゃんと食べられるようになった。いつのまにか、最低限の人間らしい生活を送るようになってた。

 

これが「時間がすべてを癒してくれる。」ってことなのかな。

でも、悲しみは、変わらないよ。

 

 

今のわたしには、まだ「時間薬」が分かりません。

 

 

ただ、少しずつ、でも間違いなく時間が経過している今だからこそ、新たに思うことがあります。

 

それは「三浦春馬」という人物が、どんどんどんどん美化されているように感じること。

(美化というか、春馬の存在は既に美しいから"過度な美化"という表現の方が正しいかも)

 

もちろん彼がどれだけ魅力溢れた人なのか、私も痛いほど知っています。だからこそ、ひとりの人間として心から尊敬してるし、到底及ばないと分かっていながらも少しでも近づきたいなと努力してしまう。間違いなく「こんな生き方をしたい!」と思わせてくれたひと。特別なひと。

 

でも私は、春馬が完璧だから好きなわけではないんです。

 

なんかこう、うまく言葉に出来ないんですけど、ちょっとめんどくさい人間っぽいところも忘れずに、大切にしていきたいなと思うんですよね。だって、そうゆうところも含めて大好きだから。完璧じゃないからこそ、すごく愛おしい。

 

そんなことを思った1ヶ月でした。

「ブレイブ -群青戦記-」

 

2021.03.12

公開おめでとうございます。

 

まだまだ油断の出来ないこの情勢の中、公開日を迎えることができたこと。とても幸せなことだなと思います。監督をはじめ、出演者の皆様、スタッフの皆様に、感謝の想いでいっぱいです。

 

春馬。ついに公開されたよ。

こんっっなに先まで、楽しみを作ってくれて、日々を頑張る糧をくれて、本当にありがとう。

 

心のどこかで、まだ観たことのない"新しい春馬"に会えることに安心し、やっぱりどこかで生きてるんじゃないかなと思うことがある。し、そう思うことで、以前に比べれば普通の生活を送れてる気がする。全然普通じゃないけど。

でも、この映画を観てしまうと、これが全て崩れ落ちてしまう気がして、怖くて。

公開日には行けませんでした。ごめんなさい。

 

でも、ちゃんと観るからね。

少し待たせてしまうかもしれないけど待っててください。

 

新田真剣佑さんも言っていたけど、観るからには作品の世界観を存分に楽しみたいと思ってます。その方が春馬も喜んでくれる気がするから。エゴかもしれないけど。

そして、しっかり目に焼き付けます。

 

これが今の自分にできること。

 

 

改めて、「ブレイブ -群青戦記-」公開おめでとうございます。

 

より多くの人にこの作品が届きますように。

1秒でも長く多くの人の記憶に残りますように。

 

愛を込めて。

自分を好きでいてほしい。

 

7ヶ月経って、ようやく、佐藤浩市さんのお言葉が痛いほど刺さるようになりました。

 

「初めて会った現場ではよく呑みに行ったな。2年前、前田組で久しぶりに会ったときは少しだけ大人になったと思ったのに………こんな親父より先に逝きやがって、悔しいよ本当に。でも今の状況を、皆が悲しんでる姿を見て一番悔やんでいるのは春馬お前自身の筈だ、そうだろ。だから俺たちはお前を反面教師にして絶対に自死を選んではいけないと叫んでいく、いいよなそれで」(引用:文春オンラインより)

 

 

当時はどうしてそんな断定的なことが言えるんだろうと、春馬にしか本当のところは分からないのになと、ただただ疑問に感じていたけど、今ならこの言葉が痛いほど刺さる。し、私もそう思うことがある。

 

これはあくまでも私の想像であり、妄想。本当のところは本人にしか分からないんだけど、それでも、考えれば考えるほど、皆が悲しんでるこの状況を一番後悔してるのは春馬なんじゃないかなと思ったりする。

 

でも、私は後悔してて欲しいわけじゃない。

 

だから今の春馬には、あの選択も含めて、自分のことを許してあげてほしいし、ちゃんと自分を好きでいてほしい。なんておこがましくも思います。エゴかもしれないけどね。

 

 

春馬の幸せだけを願ってます。大好きです。

2021

 

ここ最近、未来のこと、これからのことを意識的に考えるようになりました。

 

たぶんそれは "自分の生きている意味" が欲しいから。春馬のいない未来を生きていく意味。贅沢な話だと自分でも思う。何を言ってんだと思う。それでも見出そうとしてしまう。どれだけ考えたところで「意味」なんてないのに。

 

そして、自分ひとりじゃ大したことは出来ないと分かっているのに。

 

 

少しずつ春馬のことを自分の言葉で綴ることが出来なくなっている状況は変わりません。苦しくなってしまうから。今の心情を表す言葉が見つからないから。

でも、春馬のように、少し先の未来を見つめながら、自分のためだけではなく、誰かのために、社会のために、出来ることをしていきたいなと思っています。

 

 

だから、ゆっくり、自分のペースで、進んでみようと思う。出来るか分かんないけど。

立ち止まっている時間の方が多いかもしれないし、後ろに進んでしまうこともあるかもしれない。ずっと前を向いていられる自信もない。

それでも、考えることだけは辞めずに、ね。

 

 

2021年。

あれほど迎えたくなかったのに来てしまった。

変わらず、寂しい。寂しいよ。

でもこの寂しさを抱えながら、自分なりに生きてみるからね。自分にとって大切な人たちのために、社会のために。

 

だから、春馬。

どうかこんな私を、私の大切な人たちを、見守っていてください。ともに、生きてください。

 

今年もよろしくね。