世界中の愛を込めて。
「時間はすべてを癒してくれる。」
そんなの嘘だ。ただの綺麗事。
どれだけ時間が経とうとも、この世界から春馬がいなくなってしまったなんて信じられなくて受け入れられなくて。もう訳が分からない。
ただ、生きててほしかった。
それだけで良かった。
たとえ俳優としての人生を終えることになってもどこかで生きてさえいてくれれば良かった。
でも、これは私のエゴなのかもしれないね…
死を選んでしまうほどの苦しみを、たったひとりで抱えていた春馬を想うと「生きててほしかった」なんて言葉を簡単にかけてはいけないんじゃないかなと思ったりもする。
それでも、会いたいな。
春馬に会いたいよ。
今だって、毎日本気で、どうにか帰ってきてくれる方法はないだろうか、時間を巻き戻す方法はないだろうか、なんて考えてしまいます。この世界のどこかにあると信じて疑わない、春馬の温もりを探してしまいます。
待ってるよ、ずっと待ってる。
だから、帰ってきてよ……
春馬を失ったことで出来た心の穴は、春馬でしか埋められない。だから、どれだけ時間が経とうともこの穴が小さくなることはないと思う。
でも、それでいい。それがいい。
これまで春馬と共に過ごした証であり、これからも一緒に生きていく証でもあると思うから。
どうか、
世界中の愛と温もりに包まれていますように。
ゆっくり休めていますように。
今はただ、春馬の幸せだけを願っています。
長い長い歴史の中で、春馬と同じ時代に、同じ日本に生まれて、共に時間を過ごすことができて最高に幸せだよ。ありがとう。ありがとね。
愛を込めて。
ここからは独り言です。
SNSや週刊誌などでたくさんの憶測を目にしました。でも私は、自分が見てきた彼だけを信じていたいです。
想像ではありますが、少なからず原因を明らかにしたい気持ちや、誰かを責めたい気持ちも理解できるつもりです。それでも、彼が身も心も削りながら隠し通した部分を、彼の許可なしに土足でズカズカと入ることは私には出来ません。
それに、彼がどれだけ苦しんでいたのか、私たちが気づけなかったように、他人が抱えてる悲しみや苦しみを第三者がすべて理解するなんてきっと不可能です。苦しくて苦しくて言葉にできない人もいれば、言葉にすることで少しでも自分の気持ちを軽くしようとする人もいる。だから、コメントの有無だけで悲しみをはかることなんて出来ないし、その悲しみを他人と比べる必要なんてないと思うんです。
SNSで何を書こうが自由です。でも、その言葉の先には必ず相手がいるということを忘れてはいけない。それが発信する者の責任だと思います。その上で、どうか、素敵なものを共有するために、お互いを支え合うために、SNSが活用されますように。