星に願いを

妄想とエゴと素直な気持ち。

100

 

百箇日とは、故人の命日から100日目の行われる法要のこと。別名「卒哭忌(そっこくき)」とも言われており、嘆き悲しんでいた状態から抜け出す、悲しみに一区切りつけ、それぞれの日常に戻っていく節目の法要。

 

 

今日2020年10月25日は、春馬の百箇日らしい。

 

百箇日の意味をちゃんと知らなくて、改めて自分で調べてみたのだけれど、正直、悲しみに一区切りをつけるなんて無理だ。

 

だって、まだたったの100日なんだもん。

ずっと同じ時間を過ごしてたのに、たった100日で春馬のいない日常に慣れるはずがない。 "区切りをつけて日常に戻る" って言うけれど、私にとって "春馬がいること" が日常なわけで。もう二度と戻れないよ。戻りたいのに戻れないの。

 

でも、もう100日も経ったんだね。

非日常を100日も過ごしてたら、それが日常になるのかな?

 

正直、悲しみや苦しみが変わらないことに、ひどくなることに、心のどこかで安心してる自分もいる気がする。いつかこの現実に慣れてしまうんじゃないか、これが日常になってしまうんじゃないかって怖くなる。

 

おかしいのかな、私。

 

いつまでも悲しみや苦しみの中にいることは、春馬の望んでることじゃないのかもしれないって思ったりもするけど、私が春馬を想い続けたいから。だから、これからも毎日毎日春馬のことを考えさせてね。

 

 

7月18日から100日目。

ただ、この現実と向き合いつつ、変わらずに101日目からも想い続けるよ。まだ思い出には出来ない。したくない。