センチメンタル
18日は少しでも春馬を近くに感じたくて。ひとりで散歩した。歩き始めた頃はどんよりとした分厚い雲が空を覆っていたのに、歩いているとその雲間から青空と太陽が覗き始めて、
「いつもありがとう、ちゃんと届いてるよ」
なんて話しかけてくれた気がした。
…笑っちゃうよね。こんなの自分勝手な都合のいい妄想。だけどなんだか嬉しくて、気づけば私の口元と頬は緩んでた。(我ながら気持ち悪い)
そして、
歩きながら考えるのはやっぱり春馬のこと。
ひとづてに聞いた話や噂話、週刊誌の内容などは決定的な根拠がない限り話半分で聞き流す。これが昔からのポリシーで、自分の目で見ること、耳で聞くこと、足を運ぶことを意識的に大切にしてきた。
あの日から沢山の人が春馬とのエピソードをお裾分けしてくださる。表舞台で一緒にお仕事をされた方はもちろん、一般の方からも。
そのどれもが温かくて優しくて思わずほっこりしてしまうものばかり。でも、いつもの自分なら、YouTubeのコメントやTwitterで語られる顔も名前も分からない方のエピソードは、話半分で聞いていたんじゃないかなと思ったりもするんです。
だけど今回は違った。
どれだけ綺麗で素敵すぎる話であっても、そのエピソードで語られる春馬の姿が容易に想像できた。あれだけ匿名で語られるエピソードを信じきれなかった自分が、春馬の眩しすぎるエピソードは素直に受け止めてた。「春馬なら…」って本気で思わずにはいられなかった。
すごい。すごいよ、春馬。
いや、「すごい」なんてたった3文字で表現できるものじゃない。そんな簡単で単純なものではないし、欲しいからって誰もが手に入れることができるものでも、誤魔化せるものでもない。
それだけの人望と人徳があったんだと、想像を絶する凄まじいものを30年間積み重ねてきたんだと、改めて身に染みて感じてるよ。
でもふと、こうゆう期待や理想、イメージみたいなものが春馬を苦しめていたのかもしれないと胸が締め付けられた。
私は春馬のために何か出来たのかな…?
いつも救われてばかりで、もらってばかりで。
毎日ギリギリで生きてる今だって、春馬が届けてくれる愛のおかげでなんとか生きていられるんだよ。
今でも、鮮明に、あの日の衝撃と絶望を思い出せる。
たった2ヶ月なのか、もう2ヶ月なのか。
自分自身よく分からない。あの日から受け止められなくて、理解できなくて。全然前なんて向けなくて。相変わらず訳がわからない。
生きててほしい。帰ってきてほしい。
そんなことばかり考えてしまうよ。
そろそろ春馬に会いたいな…